Beyond Next Venturesは、日本企業のインド進出の鍵は「現地のスタートアップとのオープンイノベーション」であると考えています。私たちはこれまで14社のインドスタートアップに投資を実行しており、インドの起業家たちから「日本企業が持つ高度な技術と連携したい」という声も多く聞いています。
では、日本企業がインドのスタートアップとの連携やインドでのイノベーションを実現するためには、どのようなアプローチが必要なのでしょうか?
日本企業とインドスタートアップの連携事例の代表格は、1980年代にインドの「マルチ」という国営の企業と合弁した、当時の鈴木自動車工業(現スズキ)です。2007年には、スズキのインドでの新車販売台数が初めて日本国内を上回り、2022年には累計生産台数が2500万台を超えるなど、インド全域で自動車シェアNo.1を獲得するという驚異的な成長を遂げました。
今回は、そのマルチスズキで約8年半にわたって新規事業に携わり、現在はスズキからテック会社「Suzuki Digital Pvt Ltd」を立ち上げた和久田氏から、インドでの成功を手にしたマルチスズキの戦略と、大企業とスタートアップが共創を果たすための具体的なアプローチについてお聞きしました。
プロフィール
Suzuki Digital Pvt. ltd.|Managing Director
和久田 典隆
約10年間インドに駐在しており、マルチスズキでは新販売チャンネルNEXA、デジタルマーケティング組織、コーポレートアクセラレータMAIL、CVCといった新規事業の立ち上げを担う。直近ではスズキの子会社としてDXを推進するSuzuki Digitalを立ち上げ、Automotive Cloudを作り全世界にスズキのオペレーションをサポートすることを目指している。
Beyond Next Ventures株式会社|代表取締役社長/Managing Partner
伊藤 毅
ジャフコにてSpiberやサイバーダインをはじめとする多数の大学発技術シーズの事業化支援・投資活動をリード。2014年8月、研究成果の商業化によりアカデミアに資金が循環する社会の実現のため、当社を創業。創業初期からの資金提供に加え、成長を底上げするエコシステムの構築に従事。2020年にはインドのベンガルール市に子会社を設立し、インドスタートアップへの投資や日印連携にも注力。出資先の複数の社外取締役および名古屋大学客員准教授・広島大学客員教授を兼務。
目次
マルチスズキがインドでトップシェアを取るまでの軌跡
和久田:インドの四輪の自動車市場は実は日本より大きく、現在(2023年7月時点)では世界で3番目に大きい市場です。ちなみに、多くの人々が日常の移動手段である二輪車(主にオートバイやスクーター等)の市場は世界最大です。つまり、インドの自動車産業は既に世界トップクラスの市場なのです。
マルチスズキは、インドの自動車産業における主要なプレイヤーであり、長い歴史とその過程での多くの成果を有しています。以下は、マルチスズキがインドでのトップシェアを獲得するまでの主なフェーズを示しています。
1.設立と初期の年代 (1981-1990)
1982年にインド政府と日本の鈴木自動車工業(現スズキ)との間で合弁契約が結ばれ、マルチスズキの前身である、マルチ・ウドヨグ・リミテッド(Maruti Udyog Limited)が設立されました。この時点では、印自動車メーカー「ヒンドゥスタン・アンバサダー」と伊メーカー「フィアット」の2社しか存在しない状況で、年間3万台弱の生産/販売というとても小さい市場規模でした。
スズキの鈴木元会長が「インドでトップになる」と宣言し、10万台の自動車を生産可能な工場を建てることにコミットしました。当然まわりからは、「3万台しかない市場になぜ10万台も投資するのか」と言われたそうですが、鈴木はインドの可能性にその頃から気づいていたのです。当時はよくお客様から「より安くてより安全でより快適な車が欲しい」というお声が沢山あったことから、確信があったのだと思います。
そして1983年、「マルチ800」がローンチされ、インドの大衆車市場に一石を投じることとなりました。この車は、その手頃な価格と燃費の良さで非常に人気を博し、インドの国民車になりました。
2.成長と競合への対応 (1990-2010)
1990年代初頭、経済の自由化に伴い、社会主義だったインドにも外国の自動車メーカーが続々と参入し始めます。スズキもマルチ・ウドヨグ・リミテッドの株式の過半数を取得し、そこからビジネスモデルが徐々に変化していきます。それまでの車を生産して販売店に卸す流れを、「スズキ流のお客様へのサービス」を軸にした営業改革により、販売店管理のシステム(DMS)を入れたり、そのプロセスを見直したり、管理の方法を変えることによって、販売網を拡大することができたのです。
また、マルチはセダンやSUVなどの新しいセグメントにも進出し、製品ラインナップを多様化しました。そして2007年、マルチ・ウドヨグ・リミテッドはマルチスズキに社名を変更しました。
3.営業フローの改善と新チャンネルの増設 (2010-現在)
この頃から私が参画し始めますが、当時2010年頃は40%程度のシェアを維持していた中、当時のマルチスズキ社長の鮎川が「50%のシェアを実現する」と宣言したのです。その頃はもう既に自動車市場も拡大していたので、並々ならぬ決断です。
そこで、マルチスズキの競争優位性を徹底的に分析して、シェア50%を獲得するための戦略を練りました。カスタマージャーニーをより意識して「お客様が検討する前の段階からアプローチを始めよう」と考えました。
a) 購入前から顧客を獲得
車を購入する前には免許が必要です。インドでもほとんどの人が免許取得のために自動車学校に行きます。そこでマルチスズキは自動車学校を本格運営することにしたのです。元々CSRの一環で自動車学校を経営していたのですが、これを本格的な事業に転換し、受講生を増やして、自社の中古車や新車を買っていただく人を増やしていきました。そうすると、購入者のデータ分析ができるため、マーケティング活動にも活用していきました。
b) 新チャンネルの増設
個人ベースで所得が上がると「もっとプレミアムなブランドに乗りたい」というニーズが生まれてくるため、その人たちを顧客として維持しないといけません。しかし、既存のブランドではそのニーズに応えることが難しかったため、多チャンネル化を進めました。新しいプレミアムのチャンネルを作り、今までとは違うブランディングによってそこの客層を維持できるようになりました。結果として、2018年にはシェア50%以上に到達し、目標を達成しました。現在はさらに時代も変化して、モビリティやシェアリングなどの別の目的を持ったフェーズに入っているかもしれないですね。
伊藤:第一フェーズでは競合がひしめく市場環境ではない時に、いち早くインド市場に参入した点が大きいですね。ちなみに「合弁会社」でスタートした点も、インド進出においては重要なポイントでしたか?
和久田:そうですね。インドで成功するためには、インドの人がしっかりマネジメントをすべきだと思っています。日本から来て、3~5年駐在して、戦略を作って実行して結果を出すというのはなかなか難しいので、現地の方によるマネジメント体制を確立させていくことが、持続的な成長に繋がります。
伊藤:その点は私も同意です。Beyond Next Venturesでも、当初は日本人メンバーのみでインド投資を始めたものの、もっとローカルな理解を深めながら事業を進める必要性を感じました。そこで、現地のインドのメンバーを採用し、彼らに任せていくことを増やしていきました。結果として、以前よりもスムーズに事業が進捗しているので、まさにおっしゃる通りだなと感じます。
マルチスズキの成長を牽引したDX戦略
伊藤:2010年代頃から、マルチスズキはかなり早期からデジタル化を推進されてきましたよね?ここもシェア50%の達成に繋がっているのではないでしょうか?
和久田:はい、集客のために、2014年頃から流行り始めたデジタルマーケティングを積極的に実行してきました。しかし、保有している顧客データの最適な活用方法や、Googleでの効果的な潜在顧客ターゲティング方法、既存のお客様への広告配信を避ける仕組みなど、さまざまな課題が浮き彫りになりました。
当時、顧客データを集約・統合するCDP(Customer Data Platform)のようなプラットフォームはまだ普及しておらず、大手企業(例: マイクロソフト)にもそのようなシステムは存在していませんでした。そこで私たちは、この分野の技術を持つ専門家を求め、シリコンバレーをはじめとした海外の地域まで足を運びました。
特にCDPの分野で目を引いたのが「トレジャーデータ」です。ソフトバンクが投資を行っている同社は、私たちが訪問した時はわずか20人程度の小規模なチームでした。しかし、彼らの技術はまさに私たちが求めていたもので、幸運にも私たちがその技術を利用することを許可されました。
この新技術を素早く自社に導入し、マーケティング、セールス、サービスのあらゆる面で活用を始めました。この先進的なアプローチは、私たちのビジネスの成長に大きく寄与してくれた要因の一つであると考えています。
インドのスタートアップと協業した理由
伊藤:インドの魅力として「大きな市場」と「成長性」がある一方で、簡単な市場でもない。いろんな州がそれぞれ違う文化背景とか言語があって、一つの国に見えて実はそうではないところがインドのユニークなところですね。インド市場にうまく入っていく際に、スタートアップとの協業事例や、なぜスタートアップと取り組もうとしたのか、その辺りもぜひお聞かせください。
和久田:実際に魅力的なスタートアップからのソリューション提供があっても、それを社内で導入することはとても難易度が高いですよね。内部プロセスが複雑で、多くの時間がかかります。
そこで私はより早くスタートアップと大規模に案件を回していくための解決策を見出しました。それは、「インキュベーション」や「アクセラレーター」のアプローチを用いて、スタートアップと最初から密接に連携して、実装する前からユースケースに基づいたカスタマイズなどをお願いしてプロダクトやサービスを作り込む、という手法です。
それを考えたときに、よりフィットしそうなアクセラレーターを自社で始めました。まずは全ての部門の課題をワークショップを行うことで明確にし、生産の課題、品質の課題などに対して応募してきたスタートアップの中から課題解決に繋がりそうなソリューションを持つスタートアップをマッチングさせ、そこからは各事業部の人たちが入り、そのユースケースに基づいて運営する、という仕組みです。
伊藤:そのアプローチは非常に興味深いですね。多くの企業がオープンイノベーションの一環としてスタートアップとの連携を模索していますが、マルチスズキさんの方法は、まず社内の各部門における具体的な課題を特定し、それを解決するためにスタートアップを探し、上手く業務プロセスに巻き込みながら開発していくという独自のアプローチだと思います。
うまくいったスタートアップとの協業事例
伊藤:過去にスタートアップとの協業でうまくいった事例があれば共有いただきたいです。
和久田:過去にアクセラレーター部門の運営を統括していた時は30社ほどと協業し、その3割ほどのスタートアップのソリューションが実際に社内で導入されました。
具体的な事例として、当社のコールセンターでは何百人ものオペレーターが働いており、彼らのお客様との通話は全て録音されています。これらの通話データをスピーチ解析して、オペレーターの対応が適切であるか、また、通話中に販売のキーワードが出てきた場合にその顧客が見込み客としての可能性があるか、などを分析したいと考えていました。
しかし、このような分析を大手のアメリカ系企業に依頼すると、コストの面で非常に難しくなります。そこで、私たちのアクセラレータープログラムを通じて、この技術を持ったスタートアップを探し、一緒にソリューションを再構築して、全数の通話データを分析できるようにしました。この取り組みにより、従来できなかったことが可能となり、スタートアップとの連携の力を改めて実感しました。
スタートアップとの連携で難しかったこと、乗り越え方
伊藤:スタートアップと大企業との連携において、特に難しいポイントやハードルはありましたか?
和久田:スタートアップと大企業との連携にはいくつかの難しさが存在します。まず、スタートアップは短期間での収益化を求められる状況にあり、スピーディな動きが求められます。一方、大企業はすぐに結果を出すことは求められておらず、スピード感においてギャップが生まれます。
このギャップを埋めるためには、大企業もスタートアップのようなアジャイルな動きやデザイン思考を取り入れる必要があります。しかし、これは伝統的な大企業文化とは異なるため、社内の教育やマインドセットの変革が必要です。この変革を進めることは容易ではありませんが、スタートアップとの連携を成功させるためには欠かせないステップです。
伊藤:和久田さん自身が、社内の変革を推進し、スタートアップとの連携がスムーズに行える体制を築くための働きかけを行ってきたのですね。
和久田:そうですね。ただ「新しい方法や考え方を学んでください」と伝えるだけでは、変革は進みません。まず、社内の体制やプロセスを変える必要があります。例えば、イノベーションの推進のためには「デザイン思考」の理解が必要です。私たちはそれに対する研修を用意し、社員に受講を推奨しています。
また、多くのテクノロジー企業が「アジャイル」を採用しているため、社内でもアジャイルの考え方や実践方法についての研修を提供しています。これは、スタートアップとのコミュニケーションだけでなく、新しいプロジェクトや取り組みを進める上での基盤となるものです。
マルチスズキからスピンアウトして新会社を立ち上げた背景
伊藤:現在、「スズキデジタル」のマネージングディレクターとして活躍されている和久田さんですが、この新会社を立ち上げる背景にはどのような思いや狙いがあったのでしょうか?
和久田:私たちの目指すところは、マルチスズキでのデジタル化の取り組みをグローバルに展開することです。インドでの成功体験やテクノロジーを別の地域にも持ち込むために、一つの強固な基盤を築く必要がありました。そのため、「スズキデジタル」を設立し、各地域にプラットフォームとしてのサービスを提供していくことを目指しています。
伊藤:つまり、インドのスタートアップとの協業を通じて、デジタル技術を取り入れたプロダクトを開発し、それをグローバルに広めるための新会社を立ち上げたのですね。
和久田:その通りです。私たちが独自に開発する技術の一部と、その後のデータ領域ではコラボした方がいいケースもあります。例えばAI技術など、特定のニッチな領域ではスタートアップをプラグインできるようにしています。これにより、スタートアップもスズキデジタルとともにグローバル市場への展開が可能となり、双方にとって有益な関係が築けると考えています。
伊藤:スズキがインドでデジタル事業にこれほどまでに熱心に取り組んでいるとは知らなかった方が多いのではないでしょうか。実際に、これほどの先進的な取り組みを行っている企業は少ないと思います。本当に感銘を受けました。
インド進出成功の秘訣 – 日本企業にメッセージ
伊藤:和久田さん、これからインド市場に進出したい、または、スタートアップとの連携を検討している日本の企業に向けて、何かアドバイスはありますか?
和久田:アドバイスは主に2つです。まず「遠隔からのインド進出」はほぼ不可能です。少なくとも1〜2名を短期駐在や取材のためにインドに派遣することをお勧めします。
2つ目は、伊藤さんも同意されると思いますが「Do」ですね。とにかくやってみること。新しい市場や文化でのビジネスは、必ずしもスムーズには進まないことが多いです。しかし、その中での失敗を恐れずに、前進し続けることが大切です。
特にインド市場は、予期しない出来事が頻繁に起こるので、小さな失敗を経験しながら、大きな成功を目指すことが重要です。インドで仕事しようとするとうまくいかないことが山のようにある。なので、やるって決めて、人を送り込んで、失敗し続けること。失敗にめげない人の方がいいと思います。失敗し続けながらやっていく。それだけですね。
伊藤:まとめると、インド進出の成功の秘訣は、まず「実際に現地に足を運ぶこと」「挑戦する姿勢を持ち続けること」の2点ということですね。和久田さん、今日は貴重な経験談やアドバイスを共有していただき、ありがとうございました。
最後に
Beyond Next Venturesでは、インド進出を検討している、または、既に進出済みでさらに事業を拡大させていきたい日本企業と、インドスタートアップとのオープンイノベーションという軸で、現地メンバー含めた6名体制で支援しています。まずはどんな支援があるか聞いてみたい方は、ぜひこちらよりお問い合わせください。