アカデミア発核酸ベンチャーの軌跡 / Wave Life Sciences 科学顧問 和田猛先生【前編】

今回は、Wave Life Sciences Ltd. 科学顧問の和田猛先生に、バイオベンチャーを起業してから、米国ナスダック市場への上場を経て現在に至るまでのお話【前編】を伺いました。

和田先生の他、大手製薬企業出身の生沼氏、Beyond Next Venturesのバイオ投資を担当する吉川による対談形式でお届けします。

インタビュー対象者

和田 猛先生
東京理科大学薬学部生命創薬科学科 教授/Wave Life Sciences 科学顧問
1991 年、東京工業大学 大学院 総合理工学研究科生命化学専攻 博士課程修了。東京大学大学院 新領域創成科学研究科メディカルゲノム専攻准教授。2008年、オリゴ核酸医薬の立体制御技術の実用化を目指してキラルジェン社を立ち上げる。同社は2012年に米Ontorii社と経営統合し、Wave Life Sciences社が設立。同社取締役を経て現在は科学顧問。

生沼 斉氏
Glorialth LLC 代表兼CEO
前武田薬品工業(株)Sr.VPワクチン日本事業部門統括。元サノフィ(株)VP研究開発担当常務執行役員兼(公財)かなえ医薬振興財団理事長。元(独)メルクグループ製薬部門Sr.VP、研究開発メディカル統括本部長。内外資製薬企業にて日本、米国ボストン、英国ロンドンにて従事。現在ライフサイエンス系コンサルティングファームを主宰。筑波大学博士課程終了、ハーバード大学留学。

起業から米国ナスダック市場に上場するまで

起業のきっかけは、米国の研究者

吉川:2008年にWave社の前身となるキラルジェン社を立ち上げられましたが、どのようなきっかけだったのでしょうか。

和田:私から能動的に立ち上げたというよりは、ハーバード大学グレゴリー・バーダイン先生から一通のメールが来たことが始まりでした。私の書いた論文を読んだ彼が「この技術と自分のアイディアと結び付けて一緒にベンチャーをやらないか?」というお誘いのメールをくれたんですね。

生沼:先生の技術のベンチャー化に一番最初に注目したのが米国の研究者だったのは、驚きです。

和田:その時論文にしていたオリゴ核酸医薬の立体制御技術は国際特許にまだなっておらず、話が頓挫してしまったんです、最初は。ですが、「国際特許がないのであればそれを生み出すためにベンチャーを立ち上げましょう」となり、創業しました。この1年後の2009年には、ボストンでバーダイン先生が姉妹ベンチャーのOntorii社を設立されました。

創業メンバーは自ら口説き落とした

吉川:よくアカデミア発スタートアップのサポートをしていると、「ベンチャー化したいがそれを実行してくれる人材がいない、どうやって見つけたらよいか分からない」という先生にたくさんお会いします。先生はその辺り、どうされたのですか?

和田:私は、自分のラボ出身の研究者を口説き落としました。彼は技術にも精通していたので、非常に短期間で色々な研究開発を実現してくれました。博士課程の学生が3年くらいかかるものを1カ月くらいで。次々と特許出願をするようになり、その当時やっていたことが、今のWave社の基盤になっています。

吉川:凄いですね!彼がベンチャーへの参画を決意した決め手は何だったと思いますか?なかなか創業時のベンチャーは高い給与を支払えないことが多いと思います。

和田:彼とは付き合いも長かったので信頼関係がありました。また、私自身がワクワクしていて自信もあったし、夢を語りました。ただ、夢物語だけでなく、堅実的・具体的な計画を示してその価値を伝えました。彼はそれを理解してくれたと思います。それにかけようと思ってくれたと思いますよ。本人に聞いたらまったく違う回答かもしれませんが(笑)

インキュベーション施設を借り、助成金と民間の資金を活用した創業期

吉川:創業時、研究開発施設はどうされたんですか?

和田:東京大学柏キャンパスの隣接する東葛テクノプラザという千葉県のインキュベーション施設を一部屋借りて細々と始めました。当時の研究室からとても近く、立ち上げ時はもう毎日のように通いました。

吉川:創業時の研究開発資金はどうされたのですか?

和田:立上げ時には新日本科学さんから資金やサポートを頂いていましたし、JSTの助成金などうまく外部資金を使ってました。

グローバルを見据え研究開発拠点をボストンに

吉川:Wave社となってから、現在は本社をシンガポール、研究開発拠点をボストンと沖縄に置かれていますが、なぜそういった体制にされたのでしょうか。

和田:シンガポール政府自体が非常にサイエンスを後押ししてくれるので登記しています。ボストンは世界の学術的なものが集中しており、非常にいい人材も集まっています。

生沼:私もボストンで活動していましたが、ボストンのデメリットは人件費が高い、人材が流動しやすい点かと。もう少しローカライズされたところにハブをもって、そこに人材を集めたほうが実際には良いかもしれないですね。

和田:確かに。企業が成長する段階では、ある程度人材の流動性が穏やかなところが成長しやすいかもしれません。

生沼:日本人研究者や企業の人材は、「情報交換」という観点ではアメリカに比べるとまだギャップがありますか?

和田:あると思いますよ。日本はまだまだだと思います。

生沼:やはりそうですよね。アメリカの場合は、限定的でもどんどん情報を出すので、その場でディスカッションできますね。ただ、ノウハウは話していない。話したからといって他社が真似できるものではないからそこはいいんだと。

吉川:なるほど。総合的に考え、ボストンに研究所を構えるメリットが大きいのですね。

和田:核酸医薬においてはそうですね。しかし分野によって違うと思います。時代は変わっていきます。核酸医薬も最近日本でも進んできていて、ほとんどの国内大手製薬企業が核酸医薬の研究を進めています。「核酸医薬学会」も日本で立ち上がり、産官学連携という珍しい形でやっています。参加者は600人を超え、半数以上は企業の方です。

創業期の資金調達について

吉川:創業時、VC調達はされましたか?

和田:創業時、私たちはVCや銀行から資金を調達しませんでした。私たちのような技術開発から始まるケースでは、VCや銀行は結果が出ないと引き上げてしまうと思ったからです。一時期大学発ベンチャーが乱立しましたが、ほとんど潰れたのはそれが理由だったのではないでしょうか。

吉川:肝に銘じます。内部に資金調達などについてアドバイスしてくれた人はいらっしゃったのでしょうか?

和田:沢山いました。新日本科学の顧問など。ベンチャーの立ち上げに関しては、そういう方々とディスカッションしました。

生沼:新日本科学の方々は非臨床から臨床までノウハウがあり、彼らの審査基準は高いので、どこを突いていけばファンドをもらえるか分かっていたんだと思います。

後編「日本のバイオ・創薬ベンチャーを盛り上げていくために」につづく・・・。

Beyond Next Ventures

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