近年、XR(クロスリアリティ)技術の進化が進み、医療分野での応用が加速しています。VR(バーチャルリアリティ)やAR(拡張現実)を活用した治療法が、外科手術や精神疾患の治療、リハビリテーションの分野で導入されるようになりました。
今回は、うつ病など精神疾患に対して、医学的な根拠に基づきながらVRを用いた新しい治療法を開発する心療内科医 兼 株式会社BiPSEE(ビプシー)創業者の松村雅代氏をゲストに迎え、XR技術と医療の最前線を伺いました。
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プロフィール

株式会社BiPSEE CEO・MBA・MD
松村 雅代 氏
心療内科医師。筑波大学卒業後、㈱リクルートを経て、Case Western Reserve University (Cleveland, OH, USA)へ留学しMBA(経営学修士号)を取得(医療経営学専攻)。 米国医療系ITベンチャーSkila Inc. Skila Japan代表等を経て、2002年岡山大学医学部医学科に学士編入し、2006年医師国家資格を取得。 岡山大学病院 総合診療内科・横浜労災病院 心療内科にて心療内科専門研修を修了。 臨床と並行し、JFEスチール㈱、㈱NTTデータ等で産業医を務める。現在も、都内の医療機関で心療内科臨床を継続している。2021年3月より、高知大学医学部「医療×VR」学 特任教授。
[専門資格等]日本内科学会認定医、日本心療内科学会認定登録医、労働衛生コンサルタント(保健衛生)

Beyond Next Ventures株式会社 パートナー
橋爪 克弥
2010年ジャフコ(現ジャフコグループ)入社。産学連携投資グループリーダー、JST START代表事業プロモーターを歴任し、約10年間一貫して大学発ベンチャーへの出資に従事。2020年に当社に参画し、医療機器・デジタルヘルス領域のスタートアップへの出資を手掛ける。2021年8月に執行役員に就任。投資部門のリーダーを務めるとともに、出資先企業のコミュニティ運営を統括。主な投資実績はマイクロ波化学(IPO)、Biomedical Solutions(M&A)、Bolt Medical(M&A)等。サーフィンが趣味、湘南在住。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。
VR技術で精神疾患治療を革新する
橋爪:まずはBiPSEEの事業や松村さんご自身について教えていただけますか。
松村氏:BiPSEEは2017年に創業しました。
創業当初はお子さまの治療に対する怖さをディストラクションするVR技術に注目していたのですが、2020年から私の専門であるうつ病治療にシフトしました。
VRを活用したデジタル療法を新しい治療の選択肢として提供することに加えて、心身の状態を可視化してフィードバックするVRセンシング技術を開発しています。現在はおかげさまで探索的試験を完了し、これから治験を始める段階です。
橋爪:なぜこの会社を立ち上げたのですか?
松村氏:心療内科医として多くの患者さんと向き合う中で、従来の治療法では解決が難しい課題にたくさん直面してきました。そうした課題に挑むために、BiPSEEを立ち上げました。
BiPSEEの社名は、心療内科が重視する「Bio(身体)- Psycho(心)- Social(社会)- Eco(環境)- Ethical(倫理)」という5つの要素に由来しています。この視点を軸に、VR・メタバース・AIなどの先端デジタル技術を活用して、治療だけでなく予防や健康増進まで、一人ひとりの多様な「健康のあり方」を包括的に支えていきます。
健康と病気の間には明確な境界線があるわけではなく、連続的で個々に異なるものです。BiPSEEはその全領域をカバーし、誰もが自分らしく健康を生きられる社会を目指しています。
世界の医療現場で進むXR活用
新たなビジネスモデルを実現している「BehaVR」
橋爪:世界におけるXR技術の医療応用事例に関して注目されているものはありますか?
松村氏:当社のプロダクトにも応用している行動科学(Behavioral Sciences)領域で注目している会社は、「BehaVR」です。
日本ではプロダクト開発の際に薬事承認から始めますが、アメリカでは保険制度が複雑な背景もあり、toCビジネスである程度のトラクションを得て、そこから保険収載の形に持っていくモデルが一般的ですよね。
BehaVRは、不安やストレス緩和を目的としたNon-SaMDのVRコンテンツを提供し、日本の住友ファーマさんとも提携しているアメリカのスタートアップなのですが、早期に「Oxford VR」という統合失調症向けの治療プログラムを開発するSaMDど真ん中のスタートアップを買収したんです。
そして今はFDA(アメリカ食品医薬品局)からブレークスルーデバイス指定を受けたVR治療を展開しています。
自分たちですべてやらずに必要なものはダイナミックに買ってくるという点に日本との違いを感じました。
橋爪:なるほど。Non-SaMDからSaMDに事業を拡張していく点、スタートアップがスタートアップを買収している点が興味深いですね。ちなみに彼らはいつ頃から登場しているんですか?
松村氏:主にストレス、不安、抑うつ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの課題に対応するVR治療プログラムを開発しています。また、特にパンデミック下で増大した母子メンタルヘルス(妊産婦のストレスや不安軽減)にも取り組まれています。
すべて科学的・医学的根拠に基づいて設計され、治療者が用いる実証済みの心理療法手法(例えば認知行動療法、暴露療法、マインドフルネス等)を抽出し、それらをVR体験として再構築するアプローチを取っています。
例えば、不安症状に対してはVRで恐怖刺激を安全に提示して暴露療法を行い、慢性痛にはゲーム性を取り入れた運動で身体的アプローチを促し、ストレス管理にはリラックスできる景色や音を提示してリラクゼーション訓練を補助します。
さらに音声認識技術でユーザーの発話内容を可視化・操作させることで、認知再構築(思考の書き換え)を体験させるなどVRインタラクションを治療に組み込んでいます。その治療コンセプト自体は過去の豊富な臨床研究で有効性が立証されたものです。
そこに、VRならではの高い没入感と対話性を活かし、ユーザーの五感と感情に働きかけることで脳を「実体験」として学習させ、治療メカニズムをより効果的に発動させる工夫が凝らされています。
業界で初のFDA承認とCマーク取得「XRHealth」
松村氏:ほかにも興味深いスタートアップとして「XRHealth」があります。
同社は理学療法・認知機能向上・メンタルヘルス・疼痛管理を主にカバーしています。例えば、理学療法向けの「Physio VR」は、関節の可動域を改善するゲーム形式のリハビリを提供し、メンタルヘルス向けの「Behavioral VR」では、不安障害や恐怖症の治療として暴露療法をVRで実施。慢性疼痛管理では、リラクゼーション環境とガイド付き瞑想を組み合わせ、痛みへの認識を改善するプログラムを提供しています。
XRHealthの大きな特徴が2つあって、1つはVR技術とテレヘルスを組み合わせた「バーチャルクリニック」を運営し、患者が自宅でVRセラピーを受けられる環境を整備している点です。
2つ目は、単なるVRコンテンツ提供に留まらず、理学療法士や作業療法士、心理療法士などの専門家を自社で雇用し、リモートで患者のVRセッションをワンストップ伴走型でサポートする点です。
また、XRHealthは2023年にスペインのAmelia Virtual Care(旧Psious)を買収しました。AmeliaはVRを活用したメンタルヘルス治療の先駆者であり、100以上の暴露療法コンテンツを提供していた企業です。
この買収によって、XRHealthはフィジカル・メンタルの両面で世界最大規模のVR治療プラットフォームへと進化しました。
橋爪:まさにVR医療機器の先駆者的存在ですね。理学療法士の雇用は、創業時からだったのでしょうか?
松村氏:もともとはクリニックに提供していたそうですが、VRキットを患者さんの自宅に直接送る方が色々上手くいく気づきがあって、現在はバーチャルクリニックに特化していると伺いました。
バーチャルクリニックの運営においては、治療効果の最大化と継続率の向上のために治療プランの作成・監督まで担う理学療法士の存在が重要ですし、アメリカの健康保険適用の要件を満たすためにも専門職の関与は不可欠です。そのため、自ら雇用して派遣するスタイルになったようです。
橋爪:理学療法士を雇用しちゃおうというのがアメリカらしい発想ですね。
XR技術による医療格差の解消を目指す「Proximie」
松村氏:私の専門領域とは異なるのですが、創業者の思いやミッションに惹かれ、注目している企業があります。「Proximie」という企業で、ARを活用して外科における一定レベルのクオリティの手術を担保することを目指している企業です。
創業者であるNadine Hachach-Haram氏はレバノンをルーツに持つ、アメリカで生まれ育った方です。そこからレバノンに戻った際に、中東エリアの医療体制を目の当たりにし、どこにいても一定の手術のクオリティが担保できることを目指し、創業に至っています。
Proximieはすでに50カ国以上で導入され、世界中の医療分野の専門家と繋がることができ、医療の質に関する格差是正に取り組んでいます。手術の質を向上させている点が素晴らしいと感じています。
橋爪:医療技術は確かにARとの相性が良く、これから医療の均質化に大きく貢献できる技術ですね。
日本におけるXR医療の可能性
地方自治体によるメタバースを利用した引きこもり対策支援
橋爪:日本国内のXR活用事例は、どのようなものがありますか?
松村氏:最近、日本でもメタバースを活用した引きこもりへの支援が注目されています。自治体が主導し、メタバース空間を活用して若者が匿名で交流できる場を提供する試みが進められています。
私が知っているだけでも10以上の自治体が、メタバース空間を持っていています。メタバースといってもVRゴーグル使うものだけではなく、PCから入るタイプのメタバースもあり、また誰かがいつも空間にいて出入りが自由なものや、何かテーマを持ったイベントを開くなど、使い方は様々です。
あくまでメタバースを使う目的は、外に出るための繋ぎの一歩になることだと思っており、バーチャルな世界で過ごすことが目的ではないです。実際に当社も、独自のメタバース・プラットフォームを持っており、ある大学の小児精神領域の先生方とご一緒しているのですが効果を感じています。
引きこもり傾向のある高校生や大学生が利用しているのですが参加者から、「リアルな人とは会いたくないけれど、アバター同士なら交流できる」という声をもらっています。当社としても、アバター同士での触れ合いを通じて、少しずつコミュニケーションに慣れていったり、自信の回復に繋がったりすると感じているので、メタバースの可能性は大きいと思います。
橋爪:仮想空間の中である意味トレーニングというか、リハビリテーションをしてから現実世界に戻ってくる。現実と仮想空間を行き来することで心理的な障壁を下げていくという技術だと感じ、面白いと思いました。
歯科医療の技術発展に取り組む「Dental Prediction」
松村氏:5GとXRを組み合わせた、歯科の遠隔教育やプラットフォーム作りに取り組んでいるDental Predictionという企業にも注目しています。
歯科の世界では、学校を卒業すると開業医が独立するケースが多く、医師同士がスキルを共有合うといったコミュニケーションが難しい状況でした。そんな業界に対して、新たな取り組みをはじめたのがDental Predictionで、日本国内に留まらず、シンガポールやサウジアラビアなどにも事業展開をしています。
私自身が歯科領域の専門家ではないので、日本と海外の技術の差を十分には理解できていないのですが、グローバルな視点を持っていることがとても重要なポイントだと感じています。
XRが普及期へ「OpenXR」の誕生
橋爪:XR技術の進歩により、分野医療でのアプリケーション開発も変化していますね。松村さんがこのトレンドを見て感じていらっしゃることはありますか。
松村氏:これまでXRアプリを開発する際に、すべて異なるプラットフォームだっため、それぞれに合ったアプリを開発する必要がありました。現在はPICO社のVRゴーグル用のアプリを開発し、治療にも使用しているのですが最近は、患者さんがご自身のVRゴーグルを持っているケースも出おり、どのVRゴーグルでも利用できる汎用的なアプリ開発が必要になっています。
それを解消するのが「Open XR」という共通プラットフォームで、どのVRゴーグルでもアプリが利用できることを目指しています。まだ全てのVRゴーグルで利用できるわけではないようなのですが、これが実現できると大きな進歩ですし、心強く感じています。
橋爪:確かに共通化していろんなプラットフォームで利用できるようになると、本格的な普及期に入ってきたと感じますね。多くのトレンドや事例についてお話いただきありがとうございました!